8-090U《哀念の神隠し》
レーテから闇が迫る夕暮れどき、いなくなるのは常にもっとも幼い子か、不思議な資質を持った子と相場が決まっている。

 あまりにも無防備な捜索隊の背後を眺めながら、この首を圧し折って捨てていったらどうなるだろうか、と《獄炎の料理人 ウォン・ガ》は考えた。
 いや、駄目だ。人数を確認されたら行方不明者が出たことは明らかになってしまうし、そうなったらこの付近の捜索が重点的に為されることになるだろう。そうなったら、逃げ切れまい。

 足音を殺して駆け、ウォンガは森へと分け入っていく。浮き島の中央でまるでそのバランスを取っているかのように根付く大樹の洞は、人が数人は入れる程度に巨大であり、身を隠すには都合が良い。
「戻ったぞ」
 とウォンガが告げても返事はなかったが、気配はあった。《魔血の破戒騎士 ゼスタール》は膝を抱えて座り込んでいた。

 突如として逃げ回る身にはなったが、常に背負っている調理道具が料理にはもちろん火起こしや蒸留の役に立つ。深い樹の洞とその内部に繁る分厚い蔦葉は多少の火を起こしてもその煙を吸い取ってくれるのだから、これ以上の身の隠し場所は無い。
 ウォンガはどっかりと腰を下ろして息を吐いた。今のところ、待つ以外の打開策はない。嵐が過ぎ去るのを待つことしかできない。
 《魔導戦艦 ゼスタナス》での戦闘後、ウォンガはゼスタールを抱えて戦艦右翼の脱出ポッドに乗った。通常ならある程度着地地点を選べるわけだが、戦闘によって制御不能に陥っていたがため脱出時の姿勢制御が上手くいかず、ポッドはほとんど不時着のような状態で近隣の浮き島に落ちた。
 ゼスタールを抱えたままウォンガはポッドを乗り捨てたわけだが、そこからの移動となると困難を極めた。何せ死哭空域を潜り抜けなければ到達できないような場所にある浮き島諸島だ。

 ゼスタナス号が姿勢制御できないままメルアンたちも墜落してくれれば、と思ったが、ひとまず不時着には成功したようで、爆発音や火災などは観察できなかった。
 そのためゼスタールたちがどうにかして浮き島を逃げ出したと考えてくれることを祈り、メルアンをやり過ごすことにしたわけだが、その計画は暗礁に乗り上げつつあった。

「どうして――あんなに強いなら、どうしてシェネを助けてくれなかったんだ!?」
 脱出直後、ゼスタールはそんなふうにしてウォンガに詰め寄ってきた。
「おれが戦って、どうなる? ひとりふたりと兵が増えたところで、大勢は変わらぬものだ」とウォンガは諭そうとしたが、理で激した感情を制することはできない。
 ゼスタールが足を負傷していたのはひとつの幸いで、おかげで折角の脱出の機会をすぐに無為にされることはなかった。

 ――が、それも彼を大人しくさせておくには不十分かもしれない、とウォンガは思うようになっていた。
 ゼスタールがウォンガの責任を追及したり、母親や船員を失ったことに打ち拉がれてくれればまだ良かった。だが彼は、作戦を練っていたのだ。
「ゼスタナスを取り返す。捕虜になっている船員たちを解放させる」
 ゼスタールはそんな主張をするようになっていた。どだい不可能で、馬鹿げた話だ。
「捕虜だ? そんなもの、生き残っている保証はない。おれたち以外は全員殺されたと見るべきだろう」
「いや、生きている。捕虜になっているはずだ」
「なぜ」
「ゼスタナスを動かすのは容易じゃない。機能を把握するためには、必ず捕虜が必要なはずだ」
「動かそうとしているなら、な。だがそれにしても、捕虜を助け出すなんて不可能だし、ゼスタナスに関してはそれに輪をかけて不可能だ。ゼスタール、おまえはシェネの――」
 シェネの捨て身も、今際の言葉も無駄にするつもりか。おまえを逃がすために船員たちが身を投げ出したのを忘れたのか。
 そう言ってやっても、ゼスタールの表情も主張も揺らがなかった。
「逃げるには足がいる」
「あんな馬鹿でかい船では逃げるに不十分だ。船を捨て、徒歩で逃げ隠れたほうが何倍かマシだ」
「タランダルだって格納されている。あれなら低燃費で活動できるし、森の中に身を隠すこともできる。ゼスタナスが無理なら、あれを奪うべきだろう」

(危うい、な………)
 ウォンガは主張を曲げないゼスタールを見下ろして、両の指を開いては握り締め、その調子を確認した。彼は暴走している。シェネを、仲間を、船を、全てを失って、失ったものがあまりにも大きすぎたから、だから少しでもそれを取り戻して自身を慰めようとしているのかもしれない。
 ゼスタールを守る――今際の際にシェネが遺したその言葉を達成するためには、片足だけではなく、両足を使用不能に追い込んでおく必要がある。

 だがウォンガがゼスタールの脚を折ろうとした刹那、その黒闇は背後から広がり始めた。
 ウォンガは一対一の戦闘であれば、如何なる相手であろうとも負けないという自負があった。だがそれは、相手が人の身であれば、という条件付きでだ。召喚英雄は総じて化け物であり、人間の範疇には収まらない。

 召喚英雄《ヴェルチンジェトリクス》。

 死哭領域の原因のひとつであるというその化け物の気配をウォンガは察知し、樹洞の外に出た。変わらぬ巨躯と全身の刺青のこの化け物が、なぜ《浮島の神門壁画》のあるこの精霊島にやってきたのかはわからない。
 いや、まさか報復か。シェネが船から落下したとき、ゼスタールは彼を斬りつけている。傷一つ負わせられなかったわけだが、恨みを抱いていてもおかしくはない。この男に、恨みだなどという人間的な感情があれば、の話だが。

「ゼスタール、逃げ――」
「あの女は何処だ」
 ウォンガの叫びを掻き消すように、《ヴェルチンジェトリクス》が言葉を吐き出した。言葉を。この召喚英雄は口をきくのか。いや、当たり前か。人の身なれば、普通は、そうだ。だがこの男の全身の刺青から発せられる禍々しい魔力を前にすると、まるで猿頭蛇尾の鵺が言葉を発したように感じられてしまう。

 長い黒髪の狭間から見える召喚英雄の視線は、対峙するウォンガのことを無視して樹の洞へと向けられていた。ゼスタールへと。
「あの女はどうした。頭に猫耳を付けた、阿呆面の小柄な女だ」
 ともう一度《ヴェルチンジェトリクス》は問いかけてきた。該当する女はひとりしかいないし、そもそも彼が出会ったゼスタムの人員の中で女はひとりだけだろう。

「シェネは死んだ」
 幹を背に身体を支えて洞の外へとゼスタールが出てきて返答していた。逃げる気はないらしい。いや、その必要がないと判断したということか。召喚英雄の口調はその外見とは裏腹に理性的で、不思議な若さがあった。
「そうか。死んだのか。殺されたのか。あの戦いでか」
「あの戦いというのが、数刻前の戦艦同士の戦闘というのなら、そうだ。シェネに何か用か」
「いや、少し――少し、似ていたから気になったというだけだ」

 そう言い残すや《ヴェルチンジェトリクス》は踵を返して歩き出したが、その背が薄明の空に溶け込み見えなくなるまで、ウォンガは臨戦態勢を解くことはできなかった。
「あの男、いったい――」
 耄けたようにゼスタールが呟いたとき、星が光り出した空に一条の光が流れた。《メルアン式光波砲》だ。続けてゼスタナスの不時着地点のほうから、遠耳でもわかる複数人の怒号と剣戟が聞こえ始めた。

(あの男、何を――!?)
 ウォンガはゼスタールと同じ問いを頭の中で繰り返したが、その答えはふたりの中には存在せず、とっぷり陽が暮れて月が星々の瞬きを圧倒するようになってから、帰還した《ヴェルチンジェトリクス》本人の口によって語られた。
「捕虜を取ってきた」
 黒髪に黒刺青の召喚英雄の肩には、白い小さな尻が担がれていた。

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