小説ラスクロ『アニーよ、銃を取れ』/時代3/Turn9《黒王龍 モズドゥーン》
女の細腕でよくもここまで、と《赤魔将 豪砕のダズール》は驚嘆を覚えずにはいられなかった。《地宝剣の大闘神官 レト》は剣技、体力、馬の扱い、すべてがダズールに見劣りしていなかった。渓谷の端ではいつしかふたりの剣舞だけが続けられ、周囲の兵たちが戦闘を止めるのが感じ取れた。
どれだけ打ち合っていただろうか。一合だけにも感じられたし、百合ほども打ち合っていたようにも感じた。回数は問題ではなかった。邪魔さえ入らなければ。
ダズールの横薙ぎの一閃を、レトは馬上で仰け反るように避けた――かのように見えた。騎馬にしては不自然な動きで、なれば馬の扱いを誤り、攻撃を避けたは良いものの落馬はしたか、と落ちていくレトを眺めた。しかし彼女の白馬の後ろ足がなく、血が噴水のように吹き出ているとなれば、単に馬の扱いに誤ったわけではないと愚鈍といわれることもあるダズールでも理解ができた。
「おい、馬鹿うんこ、くそ、後ろに行って死にかけたぞ。誰だよ、おれにヴェガの相手をさせたやつは。殿さまはどこ行った? おいくそ、やっぱりこっちがおっぱい天国か」
鮮血に染まった白馬の背後から、馬に乗った《紫魔将 風牙刃のロム・スゥ》が現れた。〈風牙刃〉でレトの馬の足を切断したらしい。肩で息をしているくせ、五月蝿い。
だからダズールは正直な想いを篭めて言ってやった。五月蝿い、と。
「五月蝿い、決闘中だ。〈黒覇帝〉は先に行かれた。それと――」
危ないぞ、と言いきるまえにロム・スゥの身体が掻き消えた。主人を失った馬は、次の瞬間に真っ二つになり、しばらく二足歩行を楽しんだのちにばったりと倒れた。後ろ足の側はもう少し長く保った。
「危ねぇねぇちゃんだなぁ、くそ、貞淑で巨乳な女はいないのか」
馬上で跳躍して下からの剣を逃れたロム・スゥは、ふわりと着地して嘯いた。一方で愛馬の血に塗れたままでロム・スゥの馬を両断したレトはといえば、よろよろと立ち上がって余裕がない様子だった。
「手を出すな、ロム・スゥ」と、レトに聞こえるようにダズールは言ってやった。
しかしロム・スゥはというと、「出さねぇよ、くそう。おまえも早く逃げるんだな」と言うなり、馬より素早い全力疾走で谷を抜けていってしまった。後に残されたのは騎乗のダズール、血と地に塗れたレト、周囲で戦いをやめて呆然としていたふたりの手勢、それに――それに、谷の奥から追撃してくるヴェガの軍勢。
あっという間にダズールたちはヴェガのミノタウロス・スワント・ケンタウロスの混成軍に取り囲まれた。
当初、レトらのオルバラン軍と対面していたときとは状況が明らかに違う。というのは、最初は今と同様に人数的には明らかに不利ではあったが、対面していた。目の前の敵をすべて相手にすれば、生が見えた。
しかし今度は、敵はダズールたちを取り囲んでいた。前をいくら切り開いても、背中から狙われるということだ。八面六臂の怪物でなければ、活路が見えるはずもなかった。
「わたしは絶対有利な状況になっても、味方に、手を出すな、などとは言いません」
剣を杖代わりについて立ち上がるレトを尻目に、ダズールは言い放った。
「そうだろう。少なくともいまは絶対有利とは程遠いわけだからな」
ダズールの言葉は負け惜しみではない。レトの馬は死んでいて、ダズールのみが騎上にある。騎兵の優位性はいまさら解くまでもなく、しかもレトは落馬したときに怪我をしたらしかった。ダズールがレトに勝ったところで包囲は数でダズールを殺すかもしれないが、それでも数の上ではひとりが死に、戦っていたもうひとりも死ぬだけのこと。それで五分。兵数を考えても、相手より多く死ぬことはない。すなわちダズールに負けはない。
*
戦場では、銃では敵は殺せない。《目覚めし黄金覇者 アルマイル》はそう思っていたし、それが定石だった。精霊力のない力では、皮膚の上に纏う精霊力の盾は弾けない。
だが接近戦であれば話は変わるし、狙われた部位が相応の場所であれば、話は別だ。
緑というよりは黒く染まった森の中を、アルマイルは疾走していた。森の中へ逃げた〈黒覇帝〉を追撃し、なんとか追いついて一撃を喰らわせられたのは良かった――などとは言えない。アルマイルが達成したのは、彼の頬に薄い傷をつけただけだ。乱入してきた女がいなければ、追撃をかけられただろうに。
「――あいつは戦場とは思えない恰好をしている」
《ベル・スタァ》がメレドゥスのとある召喚英雄を評するのに言っていた言葉を思い出す。そう言う彼女自身も戦場に相応しくない恰好で戦っていたのだが。
「――背は小柄で、子どもみたいな女だ」
鬱蒼とした森の中の視界は良くなかった。それだけでなく、地面は泥濘んでいて駆け足を難しくしていた。
「――栗毛を三つ編みにしていて、瞳の色はどこにでもいるようなブラウン」
木樹は射撃を避ける盾として使えそうではあったが、どれもメレドゥスの気質がそのまま反映しているかのように捻くれていて、相手が凄腕の狙撃手であれば捻くれたその隙間から狙われそうな気がした。それだけではなく――
「――狙われたら死ぬ」
疾走していたアルマイルは反射的に伏せた。泥溜まりにほとんど突っ込む形になり、全身に泥を浴び、口の中に苦い鯵を感じた。遅れて、アルマイルの頭が先程まであったところを銃弾が貫通し、背後にあった枯れ木に突き刺さった。
銃声が聞こえたときには既に遅いのであれば、引き金が引かれるタイミングを予想して物陰に飛び込まなければならない。でなければ、目なり、耳なり、尻の穴なり、銃弾は精霊力をもってしても十分に柔らかい部分を突き抜けてくる。遮蔽物があったとて、それは盾としては完全ではない。なにせこの敵の銃弾は途中で曲がるのだ。
矢なら、速度を強化をするのに精霊力が使われるのは見たことがある。だが、軽い銃弾に精霊力をここまで篭め、しかも単純に加速するのではなく、ここまで自在に操るとは。アルマイルは片耳から血を流しながら、舌打ちをした。大丈夫、鼓膜までは到達していない。ただ少し皮膚が弱いところを狙われただけだ。
立ち上がり、また駆け出す。
どれだけ銃弾を動かせたとしても、もともとの進行方向と逆に飛ばすことのできるほどの力はないはずだ。そんな力があるのは小太陽くらいなものであり、それほど精霊力が高いならばそもそも銃などいらない。直接銃弾を弾けばよいのだ。
つまり、銃弾が飛んでくる方向からある程度敵の位置は特定できる。
藪を超えて飛び込んだ先は、木漏れ日の注ぐ開けた場所だった。〈黒覇帝〉やディアーネはいない。立っていたのは、ひとりの女のみ。地味な色のワンピースと帽子から溢れる栗色の三つ編み、焦げ茶色の瞳、小柄な身体に不釣り合いな古めかしい長銃、そして威圧感。
「召喚英雄だな」
「そう扱われております」と女は見た目通りの少女めいた声で応えた。
「名は?」
「アニー。〈
「そして――〈
オルバランを立つ直前に元召喚英雄の《ベル・スタァ》から教えられたメレドゥスの狙撃手である召喚英雄の二つ名を告げると、少女にも見える女は薄く笑った。
そして〈魔弾の射手〉の弾丸が三方からアルマイルに襲いかかった。
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