2-108U《覇力の戦巫女》
戦いの神を祭るのは、ガイラントの巫女だけではありません。島には島の、海には海の武神がおわしますわ。



「頑張れ、ちびっこ!」

 間違いなく対面の男のほうが背が高いので、つまり外野席から投げかけられた「ちびっこ」という野次が指すのは己だ。怒りでかっと顔が赤くなるのを隠せなかった。そうだ、これは怒りだ。顔が赤くなっているのは、人前に出たのが恥ずかしいからだとか、緊張しているからではないぞ、とミスルギは不安定な地面の上で己に言い聞かせる。
(何も難しいことじゃない)
 トポカ宮に辿り着き、剣術大会の受付をしてからというもの、ずっと今日のこの大会本番のことは頭の中で考えてきたのだ。いまさら怖気づくこともないではないか――少なくとも自分も相手もその手に握られているのは真剣ではないのだ。

 この剣術大会、名前に剣術とついているわけだが、べつに剣しか使ってはいけないわけではない。支給される刃引きした武器であればあらゆるものが使用でき、魔法もその範疇外ではない。
 基本的に敗北するのは審判に戦闘不能を宣告されるか、自身で降伏した場合で、それ以外だと事前に登録されている以外の刃引きされていない武器を使ったり、紳士的ではない行動を行った場合もルール違反として敗北しうる。また、試合場の周囲は水が満ちていて、そこに落ちても負けだ。
(つまりは普通に戦えばいいのだな)
 簡単じゃないか、とミスルギは己に言い聞かせようとした。

 ひとつ問題があるとすれば、試合場が水の上に浮いているということだ。試合場は、池の上に浮いた縦横三丈(約9m)の平板だ。片方に人が乗ったところですぐに転覆するというほどに軽くはないそうだが、それでも上で激しい戦いがあれば揺れは酷くなるだろう。
 いや、考えようによっては自分は有利だ。なぜなら蒼眞勢の修行として、不安定な地面の上での戦いもあったからだ。対面にいる初戦の対戦相手はバランスが悪そうな体格の大男だからだ。
「でなくても、こういうでかぶつは見掛け倒しのものなのだ」
 ミスルギは誰に聞かせるわけでもなく呟くや、開始の合図とともに跳躍した。その額を目にも留まらぬ速さで振り抜かれた木剣が打った。額が割れて血が出て、ミスルギは試合上の端まで弾き飛ばされた。



 暑いのは日射のせいだろうか、それともこの剣術大会に集まる観衆たちの人いきれのせいか。眼下の水の中に飛び込んでしまいたいという誘惑を抑えながら、《水弾の射手 ウズメ》は汗が垂れる胸元の服の結びを緩め、イースラの将のために作られた二階の来賓席から剣術大会の決勝戦が始まるのを見届けようとした。
「こいつは良い眺めだな」

 酒臭い息と濁声のおかげで、頭の上からの視線が試合会場ではなく、己の胸元へと向いていることは察知できたが、ウズメは男の言動を無視して尋ねた。
「どう見る、ミフネ」
「良いおっぱいだ」
「あの娘、どこかで見た覚えがあるが………」
 ウズメは背後の馬鹿を無視して己の脚を掻きながら己の記憶を辿ろうとした。今回の試合が陸の上の会場なので、人の姿に近づけてはいるが、ウズメは人魚である。人の形を取ることに特に力は要らないが、たまに脚が痒くなる。人間よりも乾燥肌なのかもしれない。

 決勝の舞台に立ったのがどちらも年若い女だったので、会場内は沸き立っていた。
 ひとりはミスルギという名の小柄な少女だ。初戦でこそ一撃を喰らい苦戦こそしたが、そのあとはほとんど攻撃を喰らわずに決勝まで上り詰めた。宮廷剣術やイースラの伝統武術とは明らかに違う軽業は、どこかの少民族の技術を思わせた。得物も、イースラでよく見る大刀や薙刀ではなく、反りがほとんどなく、鍔がない短めの直刀なのも変わっている。
 長い髪に髭が鬱陶しい男――《海部の将 ミフネ》は、顎に指を当ててにやりと笑った。
「ちびっこのほうが胸はあるな」
 ウズメが指を弾くと、空から雨が滝のように降り注いだ。ミフネの上にだけ。二度目はないのだ。ウズメはさらに指を動かして水分を操り、ミフネにかけた水が周りにかからないようにした。
「まいったな、水も滴る良い男になっちまった」
 このくそばかめが、というコメントを思いついたが、何か言っても増長させるだけだと思い直し、我慢した。
「水も滴る良い男になっちゃったなー」
 まだ言っていた。無視する。
「ありゃ蒼眞勢の娘だな」と、ミフネはようやくまともなことを言った。「しかも頭首の子だったはずだ。何年かまえに島を訪れたときに見たことがある――見た目はあまり成長していないな。乳以外」
 なるほど、たしかに蒼眞勢の島で見たことがあった、とウズメは思い出す。
「つまり、忍者ということか」
 水の球を頭に叩きつけられながら、ミフネは特に動じもしなかった。「その類だな……なんであの蒼眞勢の次期当主がこんな表舞台の剣術大会に参加してんだよって話だが……」

「もうひとりのほうは知っているか?」
 と尋ねながら、ウズメは舞台の上に視線を戻した。ミスルギと正対する女は、司会によればイズルハという名前らしい。
「なかなかの美人だな。乳がねぇが」
「それはもう良い」
 ウズメは溜め息を吐いた。もう突っ込むのも疲れた。それに、試合がもうすぐ始まる。あのイズルハという女のほうの試合はそれほど見てはいなかったが、決勝戦ではその動きもわかるだろう。

 試合開始の鐘が打ち鳴らされた直後、小柄な少女のほうが懐から呪符を取り出した。



 ここまで――初戦を除けば――あまりにもあっさりと決着が着きすぎてしまったせいで、出番がなかった呪符にミスルギは力を篭めた。決勝なれば、もはや出し惜しみはいらない。すべてを出して、試合に勝つ。そして優勝し、誰もに羨まれる存在となるのだ。誇れるようになるのだ。

「あの、あなたは……」
 が、決勝の歓声の中を潜り抜けてくるような静かな声が耳朶を打ち、ミスルギは呪符を投げつけかけた手を止めた。なんだ。声をかけて何をしたい。こちらに精神的な揺さぶりをかけてくるつもりかーーそんなふうに思わないでもなかったが、話しかけられた以上は聞くものだという常識的な思考の結果だった。
「なんだ」
「えっと、船に乗るときに……案内をしてくれた方ですよね?」
 こいつはいまさら何を言ってやがる。優雅に微笑むイズルハという名の女を前にして、ミスルギは唾を吐きかけたくなった。
「見ればわかるだろうに」
「ええ、ええ、そうなんですけれど……あの、ありがとうございました。改めてお礼を……。それと、聞いておきたいのですが……」とイズルハは刀を握っていない右手を口元に寄せ、白い頬を紅染めた。切符を買う場所がわからないと述べたときと同じ、あの表情で。「わたしはイズルハと申します。あなたのお名前は……」
「司会が言っていただろうに」
「すみません、緊張していて聞いていませんでした」
 馬鹿にしていやがる、とミスルギは口の端を噛み、呪符を投げつけた。呪符により爆発的に吹き出した水蒸気が水粒に変わる。深い霧の中にいるかのように奪われた視界の中でも、蒼眞勢として鍛え上げたられ感覚器官は容易に相手の位置を把握させていた。

「覚えておけ、ミスルギだ」
 正確無比な一閃がイズルハを襲った。


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