1-010R 《ジャンヌ・ダルク》
「まるで白い流星のようでしたよ。駆け抜けて、一瞬の輝きを放ち、消えていった……ですが本当は誰の魂も、そうしたものなのかも知れません。」
~聖乙女の警護者の回想~


 全裸の女性が水浴びをしていれば、誰だって慌てる。エルトラの場合もそうだった。
 とはいえ、ここはゼフィロンではない。
 白い肌に金髪は、いかにもなグランドール人の特徴である。ゼフィロンでもこうした人間はいないでもないが、近隣にはグランドールの村、ティグエナがあるのだから、グランドールの人間で間違いない。

「グランドールの者か」
 エルトラは弓に矢を番えた。相手が丸腰の女ということもあり、さすがに狙いはつけはしなかったが、反撃したり逃げようとすれば、いつでも撃つことはできる。

(とはいえ、どうするか………)
 エルトラはこれからの行動を如何にすべきか、迷っていた。
  
 現在のゼフィロンとグランドールの戦争は、冬の自然休戦期が開けた直後であり、大きな争いは起きていない。
 それでも水と油、犬猿の仲なのがこの2国だ。火種があれば、簡単に燃え上がる。
 ゼフィロンとしては戦争は大歓迎だが、しかしグランドールから仕掛けられたくはなかった。風のような速さこそ、雷のような速さこそゼフィロンだからだ。守るのではなく、攻めるこそがゼフィロンだからだ。

 斥候がグランドール領内に入っていることを知られるべきではない。
 が、口止めなどというのは簡単にはいかないだろう。人の口に戸は立てられない。
 殺すべきなのだろう。だがエルトラは非情な兵器というわけではなく、生きた兵士だった。目の前にいるのが美しい女ではなくとも、無防備な村人を殺したくはなかった。

 そんなふうに迷っているうちに、上から星が落ちてきた。星はエルトラの頭の中を跳ね回って、目から飛び出た。
 星を生み出したのは、ベルトランの長腕である。彼の長腕が、己よりも上背のあるエルトラの頭の上に落ちてきたのだった。
 痛みを感じるまえに、衝撃で頭を下げるほどの威力である。膝をつき、両手を地へ。まるで泉の中の女へ向けて、頭を下げているかのような格好になってしまった。

「馬鹿、おまえ、こいつは、いや、この方は天使だぞ」
 痛みに耐えるエルトラの上に降ってきたのは、ベルトランのそんな言葉である。 

(天使?)
 また、この男、何を言っている。
「天使さま、すいません、いや、ほんとね、悪気はなかったんですよ、えへへ」
 とベルトランは取り繕うような口調で言った。この男が、この傍若無人で、礼儀も何も知らないかのような男が、こんな言い方をするのを聞くのは初めてだった。
 天使だ?
 いったい泉の女は何者なのか。ベルトランの言う通り、天使なのか。いや、天使などではありえない。人間だ。だからやはりベルトランが何か勘違いしているのか。たとえ本当に天使だったとしても、ゼフィロン生まれのエルトラには関係がない。

 いま重要なのは、ここがグランドールの領土であり、泉の女がグランドールの人間であるということだ。
 逃げられてはならない。そう思って痛みにこらえ、無理矢理に立ち上がったエルトラの目に飛び込んできたのは、山道から降りてくる光り輝く物体だった。

 それはライオンに見えた。ただし、ライオンは太陽のようには輝かない。真っ白なライオンで、その光はエルトラの目に飛び込んできた。
 焼かれるような眼球の痛みとともに声をあげたときには、既に遅かった。


 彼女がグランドール最東端の寒村、ティグエナに立ち寄った理由を説明するのは難しい。
 一言でいえば、好奇心になる。
 冬季の休戦開けのこの時期、すぐにでも戦火が起こりそうな状況ではあったが、しかしいま現在 を見る限りでは、グランドールという国は平和そのものであった。その平和を利用して、彼女はこの世界を見て回りたかったのだ。

 女は、召還英雄だった。
 己が召還英雄という存在であるということは、なんとなく理解できる。フランスの旗を振って、イングランド軍と戦っていたときの力を取り戻したということも。
 力はある。立場もある。味方もいる。
 足りないのは、信仰だ。

 だから彼女は許可を得て旅をして、グランドール各地にある教会を見て回った。アトランティカ、グランドールという国で崇めている神が、己が信じているそれと同一の存在なのかどうか、未だ確信がつかなかったから。
 僅かな共を連れて、徒歩で世界を歩き回る。さながらそれは巡礼だった。
 ティグエナに来たのも、その巡礼の途中だ。さすがに外国旅行の許可は下りず、ここに逗留したあとはグランドールの中央教会まで戻ってくるよう命が下った。帰れば、たぶん戦争が始まるのだろう。それは予想できた。

 女は村人に聞いた泉で、心を癒やした。身体を清めた。そうして考え事をした。
(戦争なんて、行きたくない)
 泉に身体を横たえて、思い出す。昔もこうだった。戦争なんて、男だらけの血なまぐさい場所なんて、厭だった。それ以上に、ただひたすら怖かったのだ。
 それでも、神の声を聞いたとなれば、戦わなければならなかった。
(でも、本当は、行きたくなかった)
 戦いたくなかった。

 静謐な空間と思考は、泉にやってきたふたりの男に引き裂かれた。奇妙なふたり組だった。

 ひとりはスワントである。背に猛禽類のような翼のあるこの種族が、ゼフィロンという国の人種であるということは知識としては知っている。背が高く、兵士にしてはやや線の細く感じる男だった。彼は弓を構え、女を威嚇した。
 こちらは、まぁいい。理解できる人間、理解できる対応である。問題はもうひとりだ。

 まず横に広かった。翼はなく、だから人間なのだろうということはわかる。腹が出た身体はスワンとの男よりも上背が低く、その身体の上に乗っている頭には、僅かな頭髪しか残されていない。そして何より、腕が長かった。
 灰汁の見た目をしたその中年男は、女を見た瞬間に目を見開いた。団栗のような、可愛らしいといってもいいかもしれない、丸い瞳だった。
 そして腕長の男は、その長い腕を弓を構えるスワントに向けて振り下ろしたのである。物凄い音がして、スワントが頭を伏せた。

「馬鹿、おまえ、こいつは、いや、この方は天使だぞ」
 腕長の男はそう言って、地面に這いつくばった。

 状況がまったく理解できないままに、次なる闖入者はやってきた。
 それは光り輝く獣であった。

(聖獣?)
 はじめ、女の頭にはそんな言葉がよぎった。
 だがその輝く獣が放つ光が、獣を見たスワントの目を焼いたとき、女は己の考えを否定した。
「こんなことをするのが、聖獣のはずがない」

 ゼフィロンという国の異教徒から、女を救おうとしたのかもしれない。そんなふうに考えることもできないでもなかったが、白い獣の行いはあまりに残忍すぎた。スワントの目は、まるで火箸を押し付けられたかのように爛れていた。

「助けなければ」
 女の頭からは、スワントが己に弓を向けていたことなど掻き消えていた。ただ、助けなければという人間として当たり前の本能があった。泉に向かって転がってくるスワントの身体を抱き止める。

 獣は、と首を満ち上げた瞬間に、戦いの趨勢は決まっていた。
 腕長の男が腰の剣に手をかけるや否や、そのまま一回転したのだ。

 一回転して顔がこちらに戻ってきたときには、鞘に納まっていたはずの剣が抜かれているのだから、一瞬で背後の獣を切り裂いたのだろう。にしても、抜いた動きがわからぬほどの早業だった。しかも獣の光を受けて声ひとつ発さないのだから、どうやら目を瞑ったまま切ったらしい。
 獣は耳障りな音を発して、雲散霧消した。

 恐る恐る目を開けて、腕長の男が周囲を確認する。既に獣の姿は無い。その痕跡を残すは、女が抱き止めるスワントの爛れた顔だけだ。
 彼女はスワントの顔に手を当てた。手を放すと、焼け爛れた顔は僅かな傷を残すばかりで、元通りになっていた。力を取り戻した女には、この程度の治療は軽いものだ。

「おい、大丈夫か、エルトラ、おい」
 と腕長の男がぶらぶらと腕を振り回して泉へと駆けてくる。
「治療をしました。大丈夫です」と女は答え、しかしすぐに腕長の男を制した。「すみません、ちょっと待って下さい」
 女は水浴びをしていたところで、未だ全裸だった。腕長の男からは、エルトラと呼ばれたスワントの身体で隠せるが、あまり近づかれたい状況ではない。

 腕長の男には後ろを向いてもらってから、エルトラを泉の縁に横たえ、目を洗った。少しだけ熱いが、眼球には異常はないはずだ。彼の無事を改めて確認してから、木の陰で服を着る。
(不思議な人だな………)
 女は思った。腕長の男のことである。彼は女のことを天使と呼び、一も二もなく女の言うことに従った。いまだって、敵国の人間であるはずなのに、まったく無防備に泉に背を向け、両手で顔を隠している。自分は女の裸を見ていない、というアピールのようだ。
(それに、あの剣技………)
 軍にいたとはいえ、剣にはまったく詳しくはない女ではあったが、それでも比類ないものだとわかる腕前だった。

「すみません、もう大丈夫です」
 と服を着た女が戻ってくると、腕長の男は二度頷いてから手を顔から退け、そのあとに横たえられたエルトラのところへ走っていった。どうやら彼の容態が心配らしい。
「もう大丈夫ですよ」
「ああ、うん、でも、目玉が焼けてたように見えたから………」
「治療しましたので」
「ああ、うん、ええ、いや、あんたのことを疑っているわけじゃあなくて、その、大丈夫かな、って………、いや、ありがとうございます。いや、ほんと、すいませんね、こんな、あんまり、ええと、おれはベルトランっていうんだけど、あんまり学が無くて……、言葉遣いもね、あんまり」
「ベルトランさんですか。先ほどは見事な剣捌きでした。助かりました」
 ベルトラン、とはまるでフランス人のような名前だな、と思いながら、女は頭を下げた。

「い、いいえぇ、おれなんか、そんな、天使さまに褒めていただくようなものじゃあありませんよ。へへ、へっへへへ」
「ベルトランさん、わたしは天使ではありません」
 《ジャンヌ・ダルク》と申します。女、ジャンヌがそう名乗った瞬間に、ベルトランは目を見開いた。ジャンヌ、ジャンヌだって、と呟いて。

←前へ

0 コメント :

コメントを投稿

 
Toggle Footer