2-001S《アプロディテ》
美は、あらゆる発展的創造力の母である。

時代3
Turn 7

 切れない、割れない、壊れない、そして見えない
 否、目を凝らせば薄ら光の壁が見える。グランドール得意の白魔術である《ラーンの護り》めいたそれは、どうやら通路の壁や床の切れ目から出ているようだった。

「ドゥース、何が……」
 追ってきた《聖王子 アルシフォン》の声が途中で止まれば、《百の剣士長 ドゥース》を追ってきたこちらも壁にぶつかったらしかった。

(分断されたか………)
 ドゥースは己が首を擦る。
 光の壁が幾つあるのかはわからないが、どうやら等間隔で幾つも設置されていたようだ。
 アルシフォンとレイラニの側は、どうやら四方を壁に囲まれ閉じ込められてしまったらしいが、ドゥースはといえば、《狂魔技官 ギジェイ》の逃げた方向へは塞がれてしまったものの、窓を伝えば外に出られそうだ。外から上か下の階へと向かえるだろう。

 《ラーンの護り》めいた光の壁を壊したり、でなければ城の壁や床そのものを破壊する努力をするという方法もあるが、この壁が《狂魔技官 ギジェイ》が仕掛けた罠であることは間違いない。
「ならば、あの男を殺して仕掛けを解かせるのが確実だ」
 ギジェイが、殺すと脅したくらいで仕掛けを解くような男とは思えないが、あの男が逃げた方向に、この壁をコントロールするための装置がある可能性は高い。

 ドゥースは壁と壁の間に閉じ込められたふたりに作戦を伝える。作戦といっても、ドゥースが外の壁を伝ってギジェイを追うというだけなのだが。
「ドゥース……、大丈夫か?」
 と《聖王子 アルシフォン》は心配そうな表情で問いかけてくる。己が閉じ込められている場所が、敵の城の真っただ中の通路という不安もあるのだろう。今は一先ず敵兵がいないとはいえ、いつ騒ぎを聞きつけて兵士がやってくるかわかったものではない。

 だが《狂魔技官 ギジェイ》のことを身をもって理解している《百の剣士長 ドゥース》は、この状況が彼らにとって最も安全だということを知っている。
「これがギジェイの罠なら、何処よりも安全です。あいつは、実験動物は丁重に扱いますから。ただ、身許だけは気取られないようにしてください。女装のことも」
「ドゥースは、大丈夫なのか?」
 重ねて問われ、先ほどの問いも己を気遣われたものであるということに遅れて気付く。
 ドゥースは肯定も否定もせずに、「じゃあ、また」とだけ言って窓を叩き割った。



 硝子が割れる音に、シャルルフィアンは思わず肩を震わせた。
 盲目のシャルにとって、音の発生源は方向から距離から明らかだった。
(真下の……、窓?)

 窓が割れた音。いや、割った音、か。硝子の割れる音のあとに、何も落ちたような音がしなかった。むしろぱらぱらと硝子を崩すような音が聞こえるだけで、ならば割れ穴を手で広げているのであろうということは目で見ずとも予想ができた。
 それまで階下で発されていたのは、剣戟の音や怒号だ。ならば戦闘が起きたことは間違いなく、危険な状態だったのであろう。
 では今はどうかといえば、それらの音は収まった。代わりに聞こえるようになったのは、絞首刑台の綱をきつく結ぶかのような音だった。

(の、昇ってきてる……!)
 ぎっ、ぎっ、と時折聞こえる音は、外壁に巻いた蔓を伝っている音だろう。下りているわけではないのは、音の推移で推測できる。昇ってきている。昇ってきているのだ。この部屋へと。
 シャルは目が見えない。だけに、正体不明の相手に対する恐ろしさは格別だった。

 なぜ、なぜ。
 外壁を伝うくらいだ。昇ってきているのはバストリアの人間であるはずがない。城への侵入者だ。
 逃げないのか。
 何か目的があるのか。
 その目的とは、まさか《東京ローズ》なのか。
 バストリアの召喚英雄、《東京ローズ》を暗殺しようとしているのか。

 どんなにか理由をつけようとしても、シャルが《東京ローズ》として嘘の情報を伝え、同士討ちをさせ、グランドールの兵士の不安を煽り、そして殺し合わせたのは間違いなかった。プロパガンダ放送も、間接的に彼らの命を奪っただろう。

(逃げなきゃ………)
 いつか己を害するであろう《狂魔技官 ギジェイ》よりも、今まさに近づいてくる侵入者のほうがずっと直接的で、恐ろしかった。ギジェイから逃げては無駄だと思っても、ギジェイの仕掛けた罠が怖いと思っても、喉元に近づけられた剣刃ほどではない。
 恐ろしくて、恐ろしくて、逃げなくてはいけないと思いながらも、動けなかった。
 シャルはただただ震えていた。

 シャルの階の窓が割られた。硝子が踏みにじられた。既に侵入者は目の前に居た。
「蛙、か………」
 男。
 男の声。
 男はリャブーであるシャルのことを、そんな蔑称で呼んだ。村から連れ出されて以来、ずっと呼び続けられてきた渾名、醜い蛙という蔑称で。


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